でも生きてる まだ生きてる

生き辛くても頑張って生きてる私の記録

元気

「元気?」という挨拶に「病気」とは返せない。

「しばらく連絡なかったけど、元気だった?」

って聞かれても「元気だったよ」とか「まあ、それなりにね」と答えてしまう。


メンタルの不調の場合は特に、それがずばり連絡しなかった理由でも、「調子悪かった」とは答え難い。

社交辞令的なお気楽な「元気?」に対して"No"と回答するのは重すぎて、何だかバランスが悪い気がするよ。

でも、「元気だったよ」と答えるのも、嘘ついてるみたいで居心地悪い。


具合の悪そうな人に「大丈夫ですか?」って聞くと「大丈夫です」って答えちゃうから、「どうかしましたか?」って聞いた方がいい、みたい話があるけど、「元気?」の替わりになる言葉はあるかな?

私も人にはやっぱり「元気?」って声掛けちゃいそうな気がする。


「思ったより元気そうだね」って言われるのも苦手。

"こっちは空元気出して頑張ってるんだけどな"って思ってしまった瞬間、自分が承認欲求の固まりになったような気がして自己嫌悪、ますます"元気"ではなくなってしまう。


元気って難しい。

私じゃない人

私だったらダメ元でもチャレンジするよとか、私だったら事前にきちんと準備するよとか、そうゆうアドバイス的な"私だったら"は嫌いじゃない、"私じゃない"考え方を否定してる感じもしないから。


だけど、相手を否定する形の"私だったら"は好きじゃない。

私だったらどんなに困っても人のお金に手を着けたりはしない、みたいなやつ。

正論なんだけど、ものすごく排他的に聞こえるし、そうゆうこと言える人は恵まれてるのかなって思う。

私はもっと過酷な環境で育ったけど、犯罪には手を染めなかったっていう人もいるだろうけど、そうゆう人は精神的に恵まれているのかなって思ったりする。


問題を起こした人を擁護したい訳じゃないんだ。"私じゃない"極悪人もいるし、"私じゃない"弱い人もいる。彼らの心境を理解する必要があるとも、出来るとも思わない。

だけど"私だったら"が強すぎると他者の問題には気付きにくい。

"私じゃない"考え方を理解出来なくても、もう少し想像を働かすことが出来たら、みんなもっと助け合えるし、未然に防げる問題も有るんじゃないかなってふと思ってしまったりするんだよね。

思想

自分でも反論しながら、半出生主義で優性主義。


自分の事は自分でしたいのに、自力で棺桶には入れないし、死後の諸手続きも第三者に委ねなきゃならないし、"死"って一人では完結出来ないんだなって思うと、生まれない方がいいのかなと思ってしまう。

でも、本当は持ちつ持たれつ助け合いながら生きていく世の中の方が正しいのかな。


異人種間結婚とか、倫理的にはいいなって思う。

でも、例えば、北国の人同士の結婚、出産で寒さに強い遺伝子が継承されると思うんだけど、子供が"北国"で暮らし続けるなら、南国の遺伝子入っちゃったらマイナスじゃないのかな。

その子が"北国"を出て暮らすなら、暑さにも寒さにもそこそこ強いってことはプラスになるだろうけど。

そう考えるとどっちが正解か分からないね。


だからどっちも自分が思うだけで、人に押し付けるつもりはない。

でも、自分の思想は中々変えられない。


気づいたら、今日のブログは"でも"ばっかり。

不本意だけど仕方ないね。

徐々に減らしていけたらいいな。