でも生きてる まだ生きてる

生き辛くても頑張って生きてる私の記録

謝罪

今までに自分が迷惑かけたことを謝りたい人が何人かいる。

本当はもっと沢山の人に迷惑かけてるし、謝らなきゃいけないんだろうけど、

私にとって大事な人に対しては特に思いが強いよ。

でも、今更連絡取ろうとしても、単なる自己満足だよね、多分相手も何で今更…って却って不愉快な思いをするだけ。

だけど自己満でも、やっぱりきちんと謝りたいよ。

だからごめんなさい、そしてみんなその代償にきちんと幸せになっていますように。

楽しくなくても幸せ

東日本大震災はものすごくショックで、HSP気味の私はそれ以来色々な事を楽しめなくなってしまった。

それ以前から生きるということにあまり興味はなかったのだけれど、天寿を全うすれば穏やかに死ねるんじゃないかって何となく思ってて、それが生きる原動力だった。

苦しんで死ぬのは嫌だったからね。

でも、震災で沢山のお年寄りが亡くなったのを知って、せっかく長生きしても切ない最期を迎えることも多いんだなって思ってしまった。

生きることの目的を失った気分だったし、苦しんでる被災者の映像を観ると、楽しむことは不謹慎な気すらしてしまった。

現在までそれは続いてて、テレビを観てゲラゲラ笑って楽しく過ごすことはまだ出来てない。

だからといって不幸かというとそうでもない。楽しめなくても好きなことは出来てる。

高齢の親の介護だって大変だけど、さんざん面倒見てくれた人に恩返し出来るのは幸せだし、例え相手が他人でもお手伝い出来るのは、自分にはまだ余裕があるからだと思ってる。

まだ人生終わらせるつもりはないけど、もし私に何かあったとき、他人に尽くしてばかりのつまらない人生だったと思わないでね。

私はきちんと幸せに生きてたよ。

記憶(メモリ)の喪失

昔、手塚治虫先生が亡くなった時に、"まだ若いのに"の次に思ったことは、先生の記憶はどこにいってしまうんだろうということ。

連載の続きや新作などの、"これから考え出す物"が無くなることは受け入れられたけど、先生の頭の中に既に有った構想や筋書きはどこに行ってしまったんだろう?


作家の吉村達也先生は全100巻くらいの長編企画してたけど、数巻発行で亡くなってしまった。

先生は、未完の作品について、亡くなる前にざっくりとした内容を書き記して、死後公表されるようにしたみたいだけど、頭の中にはもっと詳細な内容が浮かんでたんじゃないかな。


◯○プロダクションみたいにグループで作品を作ってたり、サザエさんやクレヨンしんちゃんみたいに漫画がアニメ化された場合は、作者の死後も新作は出てくるけど、原作者の頭の中に既に有った物とは別物だもんね。


例え目に見えないものでも、既存の物が無くなるのは、すごくさみしいね。